
強度行動障害とは?
「強度行動障害」という言葉を耳にする機会が増えています。
テレビのドキュメンタリー、行政の支援施策、福祉現場の報告書など、さまざまな場面でこの言葉が使われていますが、実はこれは医学用語ではありません。
行政が定義する福祉制度上の用語であり、「主として知的障害または発達障害がある者のうち、強度の行動障害(例:自傷、他害、破壊行動、著しいパニックなど)を有し、特別な支援を必要とする者」を指します。
つまり、「強度行動障害」と言っても、それは医学的な診断名(例:自閉スペクトラム症、ADHD、反社会性パーソナリティ障害など)ではなく、それらの診断名の有無にかかわらず、日常生活に著しい支障をきたす行動が現れている状態に注目しているということです。
この言葉は、支援の必要性を行政的に評価・分類するために作られたものであり、医療現場では診断基準とはされていません。したがって、医師が「あなたは強度行動障害です」と診断することはありません。
背景にある「思考」を読み解く
強度行動障害で苦しむ当事者や支援者をサポートするには、その行動そのものではなく、「なぜそのようなことをするのか」考えなくてはなりません。
では
そのような激しい行動の背後には、どのような心理や神経的な要因が隠れているのでしょうか?
一見、意味不明に見える自傷や他害行動も、よく観察すると何らかの理由や目的、少なくともきっかけがあることがほとんどです。それらは時に、「わかってほしい」「不安で仕方ない」「環境がつらすぎる」「この状況から逃げたい」といった、言葉にできない叫びのようなものです。
精神科的には、これらの行動は次のような背景が存在することが多くあります:
発達特性による感覚過敏や予測困難への恐怖から、身を守るための行動(例:自閉スペクトラム症)
情動のコントロールが未成熟で、衝動性の高さから突拍子のない行動に至る(例:ADHD、境界性パーソナリティ障害)
愛着形成の失敗や、トラウマ体験の反復から、“まさに今、それが起こったかのような激烈な反応が生じる”(例:愛着障害、PTSD)
周囲の期待や過剰な干渉によるプレッシャーへの過反応
つまり、行動はそれ自体が一つの「語り」であり、「行動の奥にある意味」を見つめることが、サポートする上でのヒントとなります。
社会としてどう共存するか —— "迷惑"ではなく"他者"として見る視点
強度行動障害という言葉は、どこか「危険」「厄介」「対応が困難」といったニュアンスを含んで語られがちです。しかし、それは本質的な理解からは遠い態度だと言わざるを得ません。
当事者の目線からすれば、「行動を問題視される」ということ自体がすでに“社会とのズレ”の一つの現れです。
そのような視点を向けられていると、当事者たちの反発心を助長するだけです。
私たちは、彼らの行動が「社会に適応できないもの」として排除されるのではなく、「別のルールで生きている人」として受け入れる姿勢を持つほうが、賢い選択ではないでしょうか。
共存とは、「理解しきること」ではなく、「理解しようとし続けること」だと考えます。「最終的には理解できないもの」とした上で、「お互いを尊重し合おうね」という態度が衝突を回避し、うまく生きることに繋がります。
そのためには、当事者が何を怖れているのか、何に困っているのか、何を伝えようとしているのかを、“言葉以前のレベル”でくみ取ろうとする想像力が求められます。
また、制度の側も、行動の強さだけを基準にするのではなく、個々の文脈や背景、支援の工夫がどこまで届いているかに焦点をあてるよう再設計されるほうが望ましいと考えます。
個人として、私たちにできること
先の項では、社会として強度行動障害に向きあう望ましい姿勢について意見を述べました。
では、一般の人々が日常生活の中で、強度行動障害のある人たちと接する際にはどのようなことを意識すればいいのでしょうか?
具体的なヒントをいくつか紹介します。
1. 反応ではなく観察する
突発的な行動に対して、驚いたり拒否反応を示すのではなく、「この人は今何を感じているのか?」という視点で観察を試みてください。無理に関わらなくても、その姿勢自体が大きな安心につながります。
2. “普通”を押しつけない
日常的なルールやマナーは、多くの人にとって自然でも、彼らにとっては非常に負荷の高い行動であることがあります。自分の「当たり前」が他者にとって「苦痛」である可能性を常に意識し、「異なる常識」を持つものだと理解しましょう。
3. 安心できる空気をつくる
話しかけるときはゆっくり、視線は無理に合わせず、急な接触を避けるなど、「安全な存在」として振る舞うことで、彼らの不安は大きく軽減されます。
4. ラベルの先を見て、とらわれない
「強度行動障害」という言葉に縛られず、一人の人として向き合ってください。名前で呼び、目を見て笑い合う。その積み重ねが、もっとも力のある支援になります。これは何も強度行動障害に限った話ではありません。「精神疾患だから」「男だから」「女だから」「若いから」「高齢だから」など、その人の属性やラベルにとらわれない姿勢が、自身と異なる他者を正しく理解することに繋がります。
おわりに
強度行動障害という言葉は、支援のための道具ではあっても、決して人を定義するものではありません。私たちが見るべきなのはラベルではなく、その人の人生と、いま目の前で起きている”行動”が語る物語です。
行動には理由があり、感情があり、伝えたい何かがあります。その声に耳を澄ませること——それが、共に生きる第一歩になるのではないでしょうか。
【引用・参考文献】
厚生労働省. (2016). 強度行動障害支援者養成研修テキスト. https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12200000-Shakaiengokyoku/0000133580.pdf
American Psychiatric Association. (2013). Diagnostic and statistical manual of mental disorders (5th ed.). Arlington, VA: American Psychiatric Publishing.
Perry, B. D., & Szalavitz, M. (2006). The boy who was raised as a dog: And other stories from a child psychiatrist’s notebook. Basic Books.
van der Kolk, B. (2014). The body keeps the score: Brain, mind, and body in the healing of trauma. Viking.