
病気不安症とは
Summary
overview
病気不安症は、重大な疾患がないにもかかわらず強い健康不安が続く精神疾患で、かつて心気症と呼ばれていました。不安症やうつ病を併発しやすく、慢性的に経過します。
cause
発症には病気体験や家族の影響、被虐体験などの心理社会的要因に加え、不安処理に関わる脳機能の異常や遺伝的素因が関与していると考えられます。
diagnosis
健康不安が6か月以上持続し、過剰な懸念や時間消費がみられる場合に診断されます。身体疾患や他の精神疾患との丁寧な鑑別が特に重要です。
treatment
治療は認知行動療法を主体とし、不安を修正して回避行動を減らしていきます。必要に応じてSSRIを補助的に用い、生活習慣の改善や安定した治療関係の構築が予後を左右します。
概要
病気不安症(Illness Anxiety Disorder)とは、医学的に重大な疾患が確認されていないにもかかわらず、「自分は重い病気にかかっているのではないか」という強い懸念や不安が持続する精神疾患です。身体症状が存在する場合も軽微であり、不安そのものが中心的な特徴となります。以前は「心気症」と呼ばれていた疾患で、身体症状症と並び身体症状症および関連症群に分類されます。
疫学的には一般人口における有病率は1〜5%程度とされ、初発は20〜30歳代の歳思春期から青年期に多く、50歳以降の初発は稀です。慢性的に経過する傾向があり、男女差は認められていません。精神科臨床では不安症やうつ病と併存するケースも少なくなく、適切な医学的評価や健康であるという保証があっても修正が難しく持続的であるため、予後は必ずしも良好ではなく、数ヶ月から数年程度症状が持続し、同程度の期間の病欠期を経て、再発を認めながら慢性的経過をたどります。約半数は一過性の経過を示し、1/3は診断閾値以下に至ります。(1-2年後有病率は1.3-10%)。その一方、適切な心理社会的介入により安定した経過をたどる症例も報告されています。「医療を求める型」と、強い不安から「医療を避ける型」に分類されます。一般内科を受診する患者内での割合は3-8%と比較的効率です。早期に専門的治療へつながること、疾病利得がないこと、併存する精神障害がないことが予後を良転させます。
原因
病気不安症の成因は、心理社会的要因と生物学的要因の双方が関与すると考えられています。心理社会的要因としては、「加齢や死に対する恐怖」を認めることが多く、過去の重篤な病気体験や身近な家族の病気に対する過剰な関心、幼少期の被虐体験などが知られており、「病気への不安」を学習的に強化されることがあります。また、病気への不安が周囲から注目や配慮を得る手段となる文化的背景も、発症リスクを高めます。社会的・経済的階層の低さや教育水準の低さも罹患率を高めることが報告されています。発症しやすい性格傾向として、自己愛性、内省的、こだわりが強い、物事を気にしやすい、などが知られています。
生物学的要因としては、不安や不快感の処理に関わる脳領域(島皮質、前部帯状回、扁桃体など)の過活動や、身体感覚をモニターする前頭前野の機能異常が示唆されています。さらに、不安症やうつ病に関連する神経伝達物質の調節異常も関与が想定されます(まだ知見の蓄積は不十分です)。遺伝的素因も一定の影響があり、家族内集積が報告されています。
このように、単なる心理的問題にとどまらず、脳機能や学習的背景、社会的環境が複雑に絡み合って病態が形成されると理解されています。
診断
下記をすべて満たす場合に診断されます。身体症状は軽度か存在しないことが多いため、訴えの中心は「症状そのもの」よりも「病気への恐れ」にあります。そのため、実際の身体疾患の除外が診断上きわめて重要です。とくにがん、自己免疫疾患、内分泌疾患、感染症などの身体疾患を否定したうえで、他の精神疾患(統合失調症の心気的妄想、うつ病や不安障害に付随する健康不安、作為症や詐病など)との鑑別が求められます。身体症状症、パニック症、全般性不安症、醜形恐怖症、強迫症、または妄想性障害などの精神疾患で説明されないことが診断要件となります。
①少なくとも6ヶ月以上持続する、「病気である」または「病気にかかりつつある」というとらわれ(ただし、病気の内容は変化してよい)
②身体症状は存在しない、または存在してもごく軽微である。
③健康に関する強い不安が存在し、かつ健康状態について容易に恐怖を感じる。
④過度の健康関連行動(病気の徴候が出ていないか繰り返し体を調べ上げる、または病院の受診を避ける)を行う。
患者は通常妄想的ではなく、例えば「臓器が腐っている」「脳に蛆虫が湧いている」のような、訴えの内容の奇異さは認めず、不安の内容は了解できることが多いです。精神科臨床では、身体的な検査で異常が認められないにもかかわらず、繰り返し医療機関を受診するパターンが多く、この点が診断の重要な手がかりとなります。
治療
病気不安症の治療は、心理療法を中心とし、必要に応じて薬物療法を補助的に併用する形が一般的です。まず重要なのは、身体症状そのものを「重大な疾患の証拠」として破局的に捉えることが病態を悪化させるという理解を持ってもらうことです。検査による安心を繰り返し追い求めても改善は乏しく、むしろ不安を強化してしまいます。そのため、治癒を目指すよりも「不安や症状とどのように付き合っていくか」という視点を持ち、症状への耐性や対応力を高めることが治療の第一歩となります。心理療法のうち、最も有効性が確認されている方法は認知行動療法(CBT)です。不安を生じさせる極端な思考パターンを特定し、柔軟に修正する練習を重ねます。例えば「軽い頭痛=脳腫瘍ではないか」という思考を「疲労やストレスによる一時的な可能性もある」と捉え直す訓練を行います。また、健康情報を過剰に検索する習慣や頻繁な病院受診といった回避・安心行動を徐々に控え、不安に慣れる「曝露」のプロセスも導入されます。こうした実践を通じて、病気不安へのとらわれを減らし、日常生活の安定を図ります。患者の家族に対しても教育が必要です。不安な訴えに過度に反応すると病態を固定化させるため、症状を病気の「得」としないよう対応することが推奨されます。また、複数の医師を転々とする「ドクターショッピング」は予後を悪化させる要因であり、信頼できる主治医を一人に絞って治療関係を安定させることが望ましいとされています。その一方で補助的な治療に位置づけられるのは薬物療法です。病気不安症に特異的に承認された薬剤は存在しませんが、うつ病や全般性不安障害などの併存がある場合には、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)が有効とされ、不安や抑うつ気分、強迫的な健康不安の軽減に寄与します。ただし、病気不安症の患者は薬の副作用に敏感であることが多いため、少量から慎重に導入する必要があります。抗不安薬や身体愁訴に応じた鎮痛薬などは、依存や乱用のリスクがあるため、使用するとしても短期間にとどめるべきです。最後に、心理社会的アプローチとして、適度な運動、バランスの取れた食事、十分な睡眠、ストレスマネジメントの実践が症状軽減に有効であることが知られています。患者本人が自らを「精神疾患である」とは認識しにくいため、精神科受診に抵抗を示す場合も少なくありません。そのため、治療においては安定した信頼関係を築き、維持することが特に重要です。